2024年のマレーシアのカレンダー発売中

サラワク州

Sarawak / 砂拉越

サラワク州は、ボルネオ島北西部の南シナ海沿岸から内陸の熱帯雨林の密林を含む、自然が豊かな州です。多くの国立公園があり、マレーシアで最も長い川であるラジャン川、バラム川、リンバン川などの河口に広がる平野には大きな都市や街が形成されています。

また、ダヤッ (Dayak) と呼ばれる多種多様な原住民族が独自の文化や言語を守りつつ生活しています。サラワク州最大の原住民族はイバン族で、各地にロングハウスと呼ばれる独特の長屋を建て、首長 (Tuai Rumah) の権限のもとで生活を営んでいます。

半島マレーシアやシンガポールから国内線で約2時間です。マレーシア航空やエアアジアなどの航空会社がクチン、シブ、ミリなど主要都市へ乗り入れています。

また、サバ州からは飛行機またはブルネイ経由の陸路でアクセスできます。サバ州のコタキナバルと成田の直行便もあります。サラワク州が目的地の場合、クアラルンプールやシンガポールを経由するよりも直線的なルートになるため飛行時間が短縮できます。

州内の主要都市 (クチン、シブ、ビントゥル、ミリ) 間では、マレーシア航空、AirAsia、FireFly、MYAirlineなどが就航しています。

また、奥地向けにはMAS Wingsの小型飛行機を利用できます。便数が少なく、飛行機も小型で座席数が少ないため、予約の際は注意が必要です。

州内の主な移動方法は、車やバスです。サラワクは基本的に1本の国道上に主要都市があるため、昼行便も夜行便もかなりの数の高速バスが毎日走っています。

サラワク州でシティーライフを楽しみたい場合は、クチン、ミリ、シブなどの都市部へ行くことをお勧めします。

また、こうした主要都市から少し外れた場所には、オランウータンのリハビリ施設、ワニ園、熱帯雨林公園などもあります。

マレーシアの人々のルーツとも言えるニア洞窟や、観光客に人気のスポット、ムル洞窟などもサラワク州で1度は訪れたい場所の1つです。

15世紀
ブルネイ帝国による支配

ブルネイ帝国のスルタンによって支配される

1839年
ジェームス・ブルックのクチン上陸

19世紀後半に民族間の紛争が続いていた中、英国人探検家ジェームス・ブルックがクチンに上陸。1840年にブルネイのスルタンの要請を受け、英国の助けを得て紛争を鎮圧する

1841年
サラワク州の誕生

紛争の鎮圧の褒賞として、ジェームス・ブルックがサラワク州の知事 (ラジャ) に任命される

1846年
サラワク王国のブルネイからの独立

サラワク王国としてブルネイ帝国から独立し、1861年にビントゥルまで、1883年にミリまで領土を拡大し、1890年にリンバン、1905年にラワスが割譲され、現在のサラワク州の領土が確定した 

1888年
イギリスの保護領となる
1941年
サラワク憲法の制定

建国100年を記念して、ラジャの権限を制限し、国民の政治への参加を拡大した憲法が制定される

1941年12月
日本軍の占領

1941年12月に日本軍がミリとクチンを占領し、1942年4月に連合国軍が降伏する。その後、サラワクは北ボルネオと呼ばれ、クチン州、シブ州、ミリ州に分割され、日本の軍政下に置かれる

1945年9月
日本軍の降伏

日本軍の降伏後、再び英国による支配が始まり、1946年7月に英国の直轄植民地となる

1957年8月31日
マラヤ連邦独立

半島マレーシアの州がマラヤ連邦として英国植民地から独立

1963年9月16日
マレーシア連邦の成立

半島マレーシアのマラヤ連邦にサバ、サラワク、シンガポールが加わりマレーシア連邦が成立

サラワク入境時の注意

サラワク州はマレーシア国内において高度な自治権を持っているため、サラワク州外からの行き来には、外国人、マレーシア人を問わず出入国審査が求められます。

サラワク州へ旅行をする場合は、クアラルンプールの入国審査において滞在許可をもらっていても、再度入国審査を受ける必要があります。

また、サラワク州外へ出る場合にも出国審査を受ける必要があるため、「国内線」の飛行機に乗る場合でも、時間に余裕を持って空港にお越しください。

サラワク州の主な街の現在のお天気

天気