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マレーシアの国としての歴史はとても浅く、戦後イギリスから独立した 1957 年から始まります。
しかし、現在のマレーシアと呼ばれる地域は東南アジアの中心部に位置していて、昔からヨーロッパ、東洋、インド、中国などの各方面からの主要な海洋交易ルートの中心地としての役割を果たしてきました。
ここでは、現在マレーシアに住む人々のルーツから解説したいと思います。
マレーシア人のルーツ
熱帯の温暖な気候とジャングルの大自然を目指して、現在のオランアスリ (原住民) の祖先の時代である約 5 千年前に、中国大陸やチベットから人々が大移動してきました。
それに続くようにマレー系の人々が農業や金属の使用といった技術を携えてやって来たとされています。
西暦前1世紀ごろには、中国やインドとの間で強力な貿易提携が結ばれ、国の言語、伝統、文化に多大な影響を与えるようになりました。
マレーシアの歴史の中で、ヒンズー教や仏教を中心とする時代があったことは、西マレーシアのタイの国境に近い地域に位置するクダ州にある、ブジャング盆地やムルボック河口の遺跡に見られます。
イスラム文化の時代
アラブやインドの貿易商によって持ち込まれたイスラム教の広まりは、13 世紀までにヒンズー教や仏教の時代に終わりをもたらすことになりました。
その後、マラッカを領地とするヒンズー教徒のマレー人の支配者たち (マラッカ王国としてマラッカ海峡の両側を 100 年以上の間統治した) がイスラム教に改宗。
これを機にイスラム教がマレー系の宗教として確立され、マレー社会に重大な変化をもたらすこととなりました。
ヨーロッパ大航海時代(ポルトガル・オランダ)
マレーシアの歴史は、ヨーロッパの人々の出現に伴って劇的な変化を遂げることになります。
1511 年、まずはポルトガル人がマラッカを占拠します。マラッカ王国の支配者たちは、南のジョホールへと逃亡し、そこに新しくジョホール王国を立てようとします。
ところが、ヨーロッパ人からだけでなく、原住民んであるアチェ族、ブギス族、ミナンカバウ族からも妨害を受ける事態に。結果的に現在の西マレーシアの州単位でのみ勢力を拡大することしかできませんでした。
ポルトガルは、1641 年にオランダに破られ、そのオランダのマラッカ統治もイギリスが出現するまでの間と限定的になりました。
イギリスの植民地時代
イギリスは 1824 年に、スマトラ島のベンクーレンとの引き換えに、マラッカをオランダから獲得しました。
イギリスは新しい基地となったマラッカ、ペナン、シンガポール (海峡植民地として知られる) から、その力と影響を及ぼし、西マレーシアの各州の政治統合に取り掛かりました。
第二次世界大戦~独立
第二次世界大戦とそれに続く日本軍の占領 (1941-45 年) の後、1946 年にイギリス軍はマラヤ連合を結成します。しかし、程なくして 1948 年に解体され、マラヤ連邦と呼ばれるようになりました。
同連邦は 1957 年 8 月 31 日にイギリスからの独立を勝ち取ります。1963 年 9 月には、マラヤ、サラワク、サバ、シンガポール (65 年独立) が結合して、現在のマレーシアとなりました。
このようにして、世界で 4 つの主要な文化である、中国、インド、イスラム、西洋からの豊かな遺産を起源とする社会と文化が融合した国となりました。