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マレーシアの独立に関わる休日

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マレーシアでは毎年8月31日が独立記念日、9月16日がマレーシアデーとして国の休日に指定されています。それぞれ現在のマレーシアという国の成立に関わる大切な日ということで、国全体の愛国心が非常に高まる時期です。

ムルデカ広場

独立記念日、マレーシアデーはいつ祝われるの?

歴史的背景は最後に説明するとして、マレーシアの独立に関連した休日は次の3つです。

独立記念日 (8月31日)

半島マレーシアがイギリスからマラヤ連邦として独立した日 (1957年) として、毎年8月31日に祝われます。

マレーシアデー (9月16日)

マラヤ連邦、サラワク、サバ (北ボルネオ)、シンガポールがマレーシアとなった日 (1963年) として、毎年9月16日に祝われます。

以前はサバ (北ボルネオ) がイギリスから独立した日として、サバ州でのみ祝われていました。

サラワク州独立記念日 (7月22日)

ボルネオ島のサラワク州がイギリスから独立した日 (1963年) として、毎年7月22日にサラワク州のみで祝われます。詳しくはこちらの記事をご覧ください

独立記念日ではどんな行事が行われるの?

独立記念日はマレー語で “Hari Merdeka”、英語で “National Day” などと呼ばれます。

独立記念日に向けて多くの家庭で国旗が掲揚される

独立記念日前の準備

独立記念日が近づいてくると、マレーシア国内のありとあらゆる場所にマレーシアの国旗や州旗が掲げられます。自分の車に小さなマレーシア国旗を無数に立てて走る車も増えたりし、日本ではなかなか見られない風景を楽しむことができます。

マレーシアの国立学校では独立記念日のイベントの準備として国歌斉唱の練習、国旗の色塗りやモニュメントの作成など、愛国ムード一色のさまざまなアクティビティが計画されます。

ムルデカ = 独立

独立記念日が近づくと「ムルデカ」という言葉をよく見聞きするようになります。マレー語の「ムルデカ (Merdeka)」という単語には「独立」という意味があります。

マレーシア独立の父とも呼ばれる、トゥンク・アブドゥル・ラーマン初代首相がムルデカ広場で「ムルデカ!ムルデカ!ムルデカ!」と7回連呼し、マラヤ連邦の独立を宣言したのは有名な出来事です。

その時には、101発の大砲が鳴らされ、マラヤ連邦が主権国家として独立したことを広く告げるものになりました。

出典: The Star

独立記念日当日

深夜12時、独立記念日になったその瞬間、マレーシア恒例の大花火大会が行われます。勝手に個人で住宅街とかお構いなしに花火を上げたり、爆竹を鳴らしたりするので、街は爆音と煙で大変なことになります。

独立記念日当日には、マレーシア政府主催の大規模なパレードが開催されます。KLのムルデカ広場、首相官邸などの行政機関が集中するプトラジャヤ、マレーシア各州の州都などで、マレーシア軍や警察なども参加する大規模イベントが開催されます。

毎年の独立記念日では、マレーシア政府が独立記念日のテーマを設定し、掲示物や番組などでスローガンやロゴの形で使用されます。2022年現在のサブリ首相は “Keluarga Malaysia (マレーシア家族)” が政権のスローガンとなっているため、2022年の独立記念日のスローガンは “Keluarga Malaysia Teguh Bersama” で「マレーシア家族: 共に強く」となっています。

マレーシアデーではどんな行事が行われるの?

ナジブ政権が9月16日をマレーシアデーとして国の休日と制定するまでは、この日はサバ州の独立記念日としてサバ州のみで祝われていました。そのような背景から、8月31日のマレーシア独立記念日と比べると、お祝いの派手さは劣る気がします。

それでも、8月31日のマレーシア独立記念日の盛り上がりをそのまま持ち越しているので、国旗が街中に掲げられていたり、自家用車の国旗のデコレーションが派手だったり、各地の政府系のイベントが開催されたりします。

夜のムルデカ広場

マレーシア独立記念日前後の注意点

国を挙げての重要なお祭りということもあり、政府主催のパレードやイベント開催場所付近では交通規制が行われたり、それに伴う渋滞が発生したりします。

また、政府要人が集まる場所や、大勢の人が集まる場所ではテロ攻撃の対象となる可能性があるため、大使館から注意喚起のメッセージが出されています。

● 行事の開催場所、軍・警察・司法等の政府関係機関の施設等を訪れる際は、周囲の様子に十分注意を払ってください。

● 不審な状況を察知した場合は、速やかにその場を離れるようにするなど、ご自身の安全確保に留意してください。

● 観光施設、公共交通機関、イベント会場、教会、モスク等、外国人を含む不特定多数の人が集まる場所を訪れる際には、すりやひったくりなどの一般犯罪等に巻き込まれないよう特に注意を怠らないでください。

在マレーシア日本国大使館サイト

また、愛国ムードが非常に高まる時期ということもあり、マレーシアの政治や歴史に関する話題に立ち入りすぎないように注意したほうが無難かと思います。

国旗の掲揚方法を間違えると犯罪になります

国旗の掲揚方法がマレーシアの法律で定められていて、違反した国旗掲揚を行うと悪気がなくても処罰される場合があります。日本の国旗や国歌の扱いに関する感覚は、マレーシアでは通じない場合がありますので、くれぐれも取り扱いにはご注意ください。

マレーシアという国の独立にまつわる歴史のおさらい

第二次世界大戦前
イギリスの植民地に

マレー半島はマラヤ、サバは北ボルネオとしてイギリスの植民地になっていました。サラワクはサラワク王国としてイギリス人のブルック家が支配していましたので、全体的にイギリス統治色が濃かった時代です。

第二次世界大戦中
日本軍の占領

マレー作戦によって半島マレーシアが日本軍に占領され、ボルネオ島 (現在のサバ、サラワク) も日本軍によって占領されました。日本軍の占領は終戦まで続きました。

戦後
イギリス軍政下に入る

日本が敗戦したため、戦後処理として、マレー半島、現在のサバ、サラワクはイギリス軍の軍政下に入ることになりました。

1946年4月1日
マラヤ連合 (Malayan Union) 発足

イギリスの植民地政策として、マレー半島にマラヤ連合が発足しました。マラヤ連合ではスルタンの権限が縮小され、民族の差異なく市民権が与えられましたが、マレー人からの強い反対を受けることとなりました。

1948年4月1日
マラヤ連邦 (Federation of Malaya) 成立

半島マレーシア9州と海峡植民地のマラッカとペナンがまとまってマラヤ連邦が成立します。連邦といっても引き続きイギリスの保護領となっていました。マラヤ連合への反感を解消すべく、マレー人の優越性を認め、スルタンの地位の回復が行われました。

マレーシアの各(?)元首の誕生日
1957年8月31日
マラヤ連邦の独立

マレー半島の11州がまとまったマラヤ連邦がイギリスの支配から独立しました。マレーシアの独立記念日はこの日を祝う休日です。

初代首相はトゥンク・アブドゥル・ラーマンという方で、マレーシア独立の父とも呼ばれています。ムルデカ広場で「ムルデカ!ムルデカ!ムルデカ!」と独立を宣言したシーンはとても有名です。

初代国王はトゥアンク・アブドゥル・ラーマンといい (リンギット札に描かれている方)、初代首相と名前がとても似ていますが全くの別人ですのでご注意ください。

マレーシアの通貨はリンギット (略して RM)
1963年7月22日
サラワクの独立

戦後サラワクはイギリス領となっていましたが、正式にイギリスからの独立を勝ち取りました。サラワク州独立記念日はこの日を記念する休日です。

1963年9月16日
北ボルネオとシンガポールの独立

イギリスの保護国だった北ボルネオ (現在のサバ) と、海峡植民地のシンガポールがイギリスから正式に独立しました。

1963年9月16日
マレーシア連邦成立

サバとシンガポールの独立宣言と同時に、マラヤ連邦 (半島マレーシア)、北ボルネオ (サバ)、サラワク、シンガポールがともにマレーシア連邦を結成しました。

1965年8月9日
(番外編) シンガポールの独立

民族的な対立が引き金となって、マレーシアからシンガポールが追放される形でシンガポールが独立しました。

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