マラッカ州 (Melaka) の旅情報

州の概要

マラッカ州は、マレー半島西海岸南部の州で、交通の要衝であるマラッカ海峡に面しています。歴史的にはヨーロッパ諸国 (ポルトガル、オランダ、英国) の植民地となっていたので、今でもヨーロッパ風の建物が建ち並んでいます。2008年には、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。

マラッカには、華僑の男性とマレー系女性の間に生まれた子孫であるババニョニャ (またはプラナカン) と呼ばれる文化が栄えた歴史があります。多民族の融合を肌で感じることができます。

ちなみに「東方諸国記」を記したポルトガル人、トメ・ピレスによると「マラッカ」の語源は「隠れた逃亡者」に由来します。これは、マラッカ王国の初代国王が内戦から逃れてこの地に流れ着いたことと関係しているようです。

マラッカ州の場所とアクセス方法

バス: マレーシアの各都市を結ぶ高速バスがセントラルバスターミナルから発着しています。クアラルンプール国際空港からの直通バスも運行されています。所要時間は約2時間です。また、シンガポールへの国際バスも利用できます。

鉄道: KTM のタンピン駅が最寄り駅ですが、マラッカ中心部までタクシーで約1時間かかります。

マラッカ州の記事一覧

マラッカ州の統計情報

  • 人口: 92.6万人(2018年)
  • 州都: マラッカ市 (Bandaraya Melaka)
  • 面積: 1,650km2
  • 主な産業:
  • 州政府サイト: Potal Rasmi Kerajaan Negeri Melaka
  • 州公式観光サイト: なし

マラッカ州の歴史

14世紀末から15世紀
マラッカ王国の建国
スマトラ島で起こった内戦から逃れてきた王子パラメスワラがマレー半島にマラッカを建国し、スルタン (国王) となる。その後マレー半島、シンガポール、スマトラ島のリアウ地域に至るまで領土を拡大し、15世紀半ばに最も繁栄する
1509年
ポルトガルの遠征隊の到来
ポルトガル人の遠征隊が交易を目的にマラッカに到着する。当時のマラッカ王国のスルタン、マームド・シャーは当初交易を許可した。しかし、イスラム教徒とキリスト教徒のポルトガル人の間で闘争が起こり、ポルトガル人を殺害する事件が発生しポルトガル人を追放する
1511年8月
ポルトガルによるマラッカの占領
ポルトガル艦隊が到来し、戦闘の後に、武力で劣るマラッカは陥落する。その後、約130年間ポルトガルの支配が続く
1641年
オランダによるマラッカの占領
ポルトガルととの戦争に勝利したオランダがマラッカを植民地とし、その後183年間支配する
1824年
英蘭協約の締結
英国とオランダの間で条約が結ばれ、植民地の交換が行われた。これにより、スマトラ島側がオランダの植民地、マレー半島側が英国の植民地となった
1942年
日本軍がマラッカを占領
マレー半島北部から上陸してきた日本軍がマラッカを占領する
1945年9月
日本軍の降伏
日本軍の降伏後、再び英国による支配が始まり、1946年7月に英国の直轄植民地となる
1958年8月31日
マラヤ連邦独立
半島マレーシアの州がマラヤ連邦として英国植民地から独立
1963年9月16日
マレーシア連邦の成立
半島マレーシアのマラヤ連邦にサバ、サラワク、シンガポールが加わりマレーシア連邦が成立
2008年
ユネスコ世界文化遺産への登録
「マラッカ海峡の歴史都市群」としてユネスコ世界文化遺産に登録される