ジョホール州 (Johor) の旅情報

ジョホール州は、マレー半島最南端の州で、ジョホール海峡を挟んでシンガポールと国境を接しています。デサルビーチやコタティンギの滝といった自然を楽しむことができます。また、ジョホール州のタンジュンピアイ (Tanjung Piai) はユーラシア大陸の最南端に位置しています。

ジョホール州の州都ジョホールバルは、サッカーファンなら誰でも知っている「ジョホールバルの歓喜」の試合が行われた場所です。

ジョホール州の場所とアクセス方法

空路: ジョホール州のセナイ空港まで、クアラルンプールから飛行機で約1時間です。マレーシア航空、エアアジアなどが乗り入れています。また、東南アジアの諸都市への国際便も就航しています。

バス: マレーシアの各都市を結ぶ高速バスがラーキンバスターミナルから発着しています。クアラルンプールまでの所要時間は約5時間です。また、シンガポールへの国際バスも利用できます。

鉄道: KTM がジョホール州を縦断しています。州内の町に駅が設置されていますが、最も大きな駅は JB セントラル駅です。クアラルンプールからの所要時間は約7時間です。

タクシー: 隣国のシンガポールとジョホールバルを結ぶ国際タクシーを利用できます。週末や休日前の国境は大変混雑するため、時間に余裕を持って旅行しましょう。

海路: ジョホールバルのフェリーターミナルから、インドネシアのバタム島やビンタン島を結ぶフェリーが就航しています。

ジョホール州の記事一覧

ジョホール州の統計情報

ジョホール州の歴史

15世紀
マラッカ王国の建国
スマトラ島で起こった内戦から逃れてきた王子がマレー半島にマラッカを建国し、その後シンガポールに至るまで領土を拡大
1511年
ポルトガルによるマラッカの占領
ポルトガルの遠征隊がマラッカに到着し交易を迫るが、マラッカ王国はそれを拒否したため戦闘となり、武力で上回るポルトガル艦隊がマラッカを占領した
1528年
ジョホール王国の建国
ポルトガルに占領されたマラッカ王国のスルタンの子孫である、アラウッディン・リアヤト・シャーがマレー半島南端のジョホールに移り、ポルトガルに対抗してジョホール王国を建国した
17世紀
ジョホール王国の全盛期
オランダやスマトラ島のアチェ王国との良い関係を築くことで領土を拡げ、国力においても経済的においても最も繁栄する
1699年
マフムード・シャー2世の殺害 (ベンダハラ王朝)
マラッカ王国の王統を受け継ぐマフムード・シャー2世が殺害され、アブドゥル・ジャリル4世が新スルタンを宣言する
1718年
ラジャ・クチルが新スルタンを宣言 (ジョホール王国)
マラッカ王国の王統を引くと名乗るラジャ・クチルがアブドゥル・ジャリル4世を追放し、新スルタンを宣言する
1722年
ラジャ・スライマンが新スルタンになる (ベンダハラ王朝)
アブドゥル・ジャリル4世の息子ラジャ・スライマンがブギス人を率いてラジャ・クチルと戦い、勝利後にジョホール・リアウ帝国の新スルタンとなる
1819年
ラッフルズが対岸のシンガポールに到着
英国人のラッフルズの一団が、ジョホールの南の対岸の島シンガプラ (現在のシンガポール) に到着。これ以降オランダの影響力が強かったジョホールに対しても影響力を持ち始める
1855年
ベンダハラ王朝からテメンゴン王朝へ
英国の圧力により、ベンダハラ王朝のジョホールに対する王権が、テメンゴン・イブラヒムへ委譲され、その後ジョホール・リアウ帝国は、マレー半島側のジョホール (英国) とスマトラ島側のリアウ (オランダ) に分割され、現在のマレーシアとインドネシアの国境となっている
1885年
英女王ビクトリアがジョホールの独立を認める
この承認により、以前のジョホール・リアウ帝国から、現在のパハン州、シンガポール、スマトラ島部分が分割され、現在のジョホール州の範囲となる
1914年
英国の植民地となる
英国の総顧問官を強制的に受け入れさせられ、ジョホールの実権が英国に譲渡される
1942年
日本軍がジョホールバルを占領
マレー半島北部から上陸してきた日本軍が、マレー半島最南端のジョホールバルまで侵攻。その後ジョホールバルを拠点に日本軍はシンガポールの英国軍を攻撃し、その後シンガポールを攻略する
1945年8月
日本軍の降伏
日本軍の降伏後、再び英国による支配が始まる
1958年8月31日
マラヤ連邦独立
半島マレーシアの州がマラヤ連邦として英国植民地から独立
1963年9月16日
マレーシア連邦の成立
半島マレーシアのマラヤ連邦にサバ、サラワク、シンガポールが加わりマレーシア連邦が成立